日本メディメンタル研究所 所長
私がメンタルヘルスを目指したわけ
私が本格的に産業医を始めた平成5(1993)年ごろは、ちょうど1990年代のバブルがはじけた時で、企業が生き残るために、ダウンサイジングやリストラクチャリングを始めた頃でした。時を同じくしてちょうどその頃に、うつやパニック障害などで会社を休んだり、会社には出勤しているものの与えられた仕事がこなせなかったりする方の問題が出始めて、私はその対応をしていました。その頃は、私自身、メンタルヘルスを始めたばかりで、しかも、元々は内科専門で勉強していましたから、メンタルヘルスの事は分からないことで次から次に持ち込まれる問題に右往左往して、恩師や大学の先輩や同僚に分からないことを聞きながら対応していました。
社員本人から専門医へ、
治療に必要なことを
全て伝えるとは限らない。
本当の意味で救うには、社員本人と主治医の懸け橋になること。
私には忘れられない出来事があります。
ひとつは、ある部長から金曜の夕方に、ちょっと心配な部下がいるので話を聞いてもらいたいと依頼され、その方と面談をしました。話を聞くと、やる気が出ず、眠れず、仕事に来ても集中できないという明らかなメンタルヘルス不調の症状を話していたので、私としては、以前から親しくしていた精神科病院へ紹介状を書いて、そこでご家族と一緒に受診するよう話をしました。私は病院を受診して治療が始まれば、次は会社をしばらく休んで自宅療養してもらうかどうかを考えようと思っていましたが、翌週の月曜日の早朝に、その部長から私の自宅へ電話があり、その面談した社員がお亡くなりになったと報告を受け、呆然としました。私に何か落ち度はなかったのだろうか・・・とても悩みました。
その後、人事担当者がご遺族と話をしている中で、実は私との面談で、本人から私に話していないこと(「死にたい」と漏らしていたこと)が判明し、しかも病院の診察でも、そのことを申告していないことも分かりました。
その時に、私としては治療に必要なことを、本人自身が病院の診察で申告しないこともあり、それを伝えなかったばかりに、その後、取り返しのつかないことが起きてしまう。社員本人から専門医へ治療に必要なことを全て伝えるとは限らず、治療に大事な情報を専門医へ伝え忘れることを予防するために、産業医は場合によっては家族と連絡をとり、治療に必要なことを病院の医師へ積極的に伝えないと、社員本人と主治医の懸け橋にならないと、本当の意味で救えないと確信しました。
病院の診断結果は復職可能、
でも実際に社員本人は
働けない状況が続く。
産業医として治療に直接関われないが、生活環境や仕事の調整、関係者への働きかけなどその大切さを学ばせていただきました。
もうひとつの忘れられない出来事。それは、ある日、職場で仕事をしていると、ある上司が怒ってやってきて、「産業医は何をやっているんだ」とすごい剣幕で言ってきました。私は、産業医として勤務し始めたばかりで、何を言っているのか分からず、その上司から話をよく聞くと、「うつ病」で休んでいた社員が主治医の復職可能と診断書が出たので、その診断書通り復職させたものの、出勤しても職場の休憩室でほとんど休んでいる状態で、仕事をしていない状態が続いていることに怒っていました。
上司が怒る事情についてよく理解し、本人とその後面談したところ、あまり、よく眠れず元気もないことがわかり、そのことを手紙で主治医に伝えましたが、主治医からは会社へ行けるようであれば、行なった方がよいという事を社員本人へ話していたようでした。
その上司と私だけでは、この問題は解決しないと思い、私から人事担当者へ今までの経緯を説明し、出勤しても職場の休憩室で休むようであれば、人事担当者から本人へ会社を休むよう話してもらいました。次に、私はその社員と一緒に主治医のところへ行き、会社での勤務状態を説明しましたが、主治医から会社を休む必要性について理解を得ることはできませんでした。しかも、その社員は会社の寮に住んでいたので、今度は寮の管理人からも、そんなに体調の悪い社員を寮に住まわせておいて大丈夫なのか、という相談も来るようになり、私としては困り果ててしまいました。
このままじゃいけない、関係者へ働きかけてみる。
また、私からご本人には体調が悪く仕事ができていないので、遠方にいる家族へ連絡させてもらうことを告げ、その社員のご家族へ連絡をし、今までの経緯について説明して家族に会社まで来てもらうことをお願いしました。会社に来た家族に対して、上司からその社員の勤務状況について説明してもらい、私からは体調が悪く会社の寮に住まわせておくことも心配なので、実家で療養してもらうようお願いをしました。家族はちょっとショックを受けたようですが、その後、家族と社員本人が話し合い、実家で療養することになりました。その後、自宅療養中に家族と本人が話し合い、会社を辞めることを決めて退職することになりました。
私としては、本当にこれでよかったのだろうか、と心配していましたが、退職してから数か月経った後、その上司から連絡があり、病院へ通院しながら、実家の近くで自分に合った仕事を見つけて元気に過ごしていると書いた手紙が来たということでした。
その時に、産業医として治療に直接関われないが、関係者に働きかけ、その人の生活環境や仕事の調整をすることで、結果的に、社員が体調を改善し、健康的なキャリアを得られるようにすることの大切さを学びました。それは、病院での治療とは違う醍醐味があると感じ、メンタルヘルス専門産業医の必要性を再度認識したのでした。